1995年1月に起きた阪神淡路大震災を背景にした6本の連作短編集。
出版社に勤める善也は母と2人暮らし。新興宗教に生きる母は、子どもの頃の善也に「私達の神様「お方」があなたのお父さんで、あなたは神様の子どもなのだ」と話して聞かせていた。しかし、善也は自分が「神様の子」などという特別な存在だとは思えず、13歳の時に善也は信仰を捨てる。そして善也が17歳の時、母は善也に彼の出生の秘密―生物学上の父親の事―を語った。
それから8年後の1995年2月。母が教団のボランティア活動で震災のあった神戸へ向かい留守にしている夜、善也は父親と同じ身体的特徴をもった男を帰宅途中に見つける。善也は彼の後をつけ始めたのだが……。(表題作『神の子どもたちはみな踊る』)
雑誌に連載された当初には「地震のあとで」という題名が付けられており、いずれの物語にも阪神淡路大震災が背景にあるんだけど、主人公を始めとする主要な登場人物達は誰も震災を直接体験してはいない。
『神の―』の善也にとっては母が"神の遣い"としてボランティアで向かった地、また別の物語の人物にとっては断絶した故郷の出来事、別の人物にとっては憎い人物が住んでいる場所に起きた事。震災の直接的な描写がなく登場人物とは無縁に思える出来事に見えて、それでも震災が抗えない圧倒的な自然の力によって登場人物達の心の傷に触れたりダメージを与える様と、そこから立ち上がる者、または受け入れる者、それぞれの生き方に大きな影響を与えている様がありありと伝わってくる。
また、現実に起きた震災が背景にある事で、物語全体に漂う喪失感や闇をよりリアルに感じられた。
印象に残ったのは『神の―』の善也が父親らしき男の後を追いながら、母と自分の恩人である男性の最期を回想した時の独白。
―神が人を試せるのなら、どうして人が神を試してはいけないのだろう?―
そして終盤、父親らしき男を見失い辿り着いた無人の野球場で、月の光を浴びながら一人踊った善也の呟き。
「神様」
祈りとも呪詛とも取れるこの呟きに善也の心の闇の深さと、射してくる光とを同時に感じて胸が詰まった。
誰でも程度の差こそあれ抱えている心の傷や痛み、闇、憎悪。この世界でそれらを抱えて生きていくのは辛い事だけど、それでも自分の世界が続いているなら生きていかなくてはいけない。そんな世界に静かな救いをもたらしてくれるような、未来に明るさを信じてもいいと思える物語達だった。
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