宮沢賢治童話の最高傑作の一つと言われ、後世の数々の作品のモチーフにもなった物語。
朝夕の活版所での仕事に明け暮れる少年・ジョバンニは授業に身が入らず、クラスメイトからは漁に出ていて長い間帰らない父の事でからかわれ、疎外された孤独な日々を送っていた。
星祭りの夜、クラスメイトのザネリにからかわれ、唯一の友人・カムパネルラが気の毒そうにしながらもザネリ達と行動を共にしているのを見て孤独に苛まれたジョバンニは、一人ぼっちで天気輪の丘に上る。夜空を見つめていたジョバンニはいつの間にか銀河を走る鉄道に乗り込んでいた。すぐ傍の席にカムパネルラの姿があり、2人は銀河鉄道で星巡りの旅を楽しみ様々な人と出会う。燈台守、鳥を獲る男、幼い姉弟を連れ黒い服をきちんと着込んだ家庭教師の青年。彼らと語りジョバンニは「ほんとうのさいわい」について思いを巡らせる。そして南十字(サザンクロス)停車場で彼らが皆降りてしまうと、銀河鉄道にはジョバンニとカムパネルラの2人きりになった。「どこまでも一緒に、どこまでも行こう」と誓い合うが、その直後カムパネルラの姿は消えてしまった。泣き叫んだジョバンニは天気輪の丘で目覚める。夜の町を家へ向かうジョバンニは橋の上に人が集まっているのに気が付いた。そしてカムパネルラが、船から落ちたザネリを助けて川に飛び込んだまま見つからないのだと聞かされて……。
宮沢賢治の作品の中でも特に好きな作品
詩人でもある賢治の、幻想的で美しい言葉や表現にまず惹き付けられる
「私どもも天の川の水の中に棲んでいる」
「そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりも透き通って」
「すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っている」(本文より抜粋)
賢治の宇宙に対する認識や想い、信仰や幸福、生きることへの想いが込められてた言葉だと思う。
そして銀河鉄道に乗り込んできた幼い姉弟を連れた黒い服の青年は、「乗っていた船が氷山にぶつかって沈んだ」と語る。有名なタイタニック号の沈没事故をモチーフにしていて、読み手にはこの銀河を走る鉄道がどういう列車なのかを知る手掛かりとなる。ここでの燈台守と青年の会話がとても印象的。
「ほんとうにどんなにつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近付く一あしずつですから。」
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」(本文より抜粋)
様々な国の言葉での賛美歌が響く沈没時の場面を思い返し「ボートは助かったに違いない」と語る青年に、慰めるように言葉をかける燈台守。南イタリアが物語の舞台である事や書かれた背景なども手伝ってキリスト教色の強い場面だけど、誰の胸にも響く言葉だと感じた
「正しい道」とは何なのか? キリスト教の教えはちょっと置いといて。何が幸せかはわからないし人それぞれではあるけど、「正しい」とは「正解」という事ではなく、自分が「幸せへ繋がっていると信じられる」道じゃないかと思う。その為ならどんな辛い事も糧となって乗り越えて行ける、そんな生きる為のメッセージが込められているように感じた。
カムパネルラが川に飛び込んで見つからないと聞いたジョバンニは、銀河鉄道は何だったのかをはっきりと感じて、カムパネルラは銀河の外れにいて戻って来ないと悟る。そして、カムパネルラの父親から、ジョバンニの父親がもうじき帰ってくるだろうと聞かされる。
カムパネルラの死と父の帰還、相反する知らせを同時に受けたジョバンニは、カムパネルラの「どこまでも一緒に行こう」といった言葉を思い返したんじゃないかと思う。父が帰ってくる、母もいる、そしてカムパネルラがいつでも一緒にいる、自分はもう孤独じゃないんだと感じられたんだと思う。
ジョバンニが銀河鉄道に乗ったのは、孤独感から死への思いがあったからなんじゃないだろうか。ジョバンニ自身は自覚してないだろうけれど。そして、カムパネルラはザネリだけでなく、ジョバンニの事も救ったのではないかと思う。
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