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創作裏話、Web拍手御礼、マイブームなど。
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    演劇集団PocketSheepS公演『鏡界船』観劇

    昨日は演劇集団PocketSheepS の公演『鏡界船』を観て来ました。

    夜崎あかねは超能力を持っている。他人に命令する力。彼女だけに許されたその力には、誰であろうと逆らう事は出来ない。
    白峰葵は新人記者。憧れの職業に就き、理想と現実のギャップに苦しみながらも毎日を多忙に過ごす。
    二人に共通点はない。趣味も、性格も、考え方も違う。
    二人の世界の間にあるのは、誰も超えられない境界線。二人が出会う事はない。
    ただ、互いの顔は知っているはずだ。彼女たちが、鏡を見た事があるのならば。
    (公式サイトより)

    全席自由で、ぽつんと空いていた最前列を確保^^
    小さな劇場だったけど、舞台の狭さなんて感じさせず迫力満点!セットなんかもほとんど無くて、それでもシーンごとにちゃんと違う場所に見える、役者さんの力に魅せらたキラキラ

    他人に命令する力、他人の心を読む力、口にした嘘を事実にする力、未来を知る力……様々な超能力を持って生まれてしまった人々の孤独と苦悩、彼らを研究対象としてしか見ず非人道的な実験を繰り返す研究者・黒沢、そして彼らを世間から匿うと言う組織「方舟」に属する月上、様々な思惑が絡み合い進んでいく物語は片時も目が離せないキラキラ
    研究所を脱走したあかねと他人の心を読む力を持つ友人の真美は、真美の父親の知人だと言う月上の下に身を寄せる。序盤ではちょっと変ないい人にしか見えなかった月上の、終盤での豹変振りに惹き付けらた。「いい人」が実は一番の悪役、その落差が大きいほど惹かれてしまうキラキラ人を笑わせる事のできるコミカルさと、悪役もこなせるシリアスさを併せ持っているって凄いと思う。月上を演じた鍛治本さん、かっこよかったぁハート

    かつて黒沢の研究所であかねに心を救われて、そしてあかねを想って作った嘘の世界で兄として彼女をひっそりと守っていた彰。終盤の「たとえそれが嘘でも、彼女が幸せなら嘘の世界を作る価値はある」といった趣旨の彰の台詞が切なくて胸を打たれたうるうる
    全てを思い出し、そして忘れさせられ再び葵として生きるあかねが、彰の前に姿を現し「忘れたけれど、また出会うのは私の自由でしょ?」と言った姿にジーンとしたうるうるもう一度「初めまして」と言った彼女があかねと名乗ったのか葵と名乗ったのか? 台詞はかき消され観た人に委ねられている。私は彼女は自分の力や境遇を受け入れられて、本当の名前「あかね」を名乗ったのではないかと思う。

    利己的な裏切り、大切な人を思うが故の嘘。超能力っていう不思議なものをメインに据えてるけど、そこには人が人であるかぎり持っている生々しい感情や孤独感、そして優しさと切なさが詰まっていて心揺さぶられた。素敵な舞台だったキラキラ

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    劇団ZAPPA第14回公演「花 hana 2009」観劇

    今日は8日に行く予定だったお芝居、劇団ZAPPAの公演、「花 hana 2009」を観てきた^^
    (チケットは振り替えてもらえた^^=3)

    舞台は幕末。
    「おらたちは『なたね』なんかじゃねぇ!」
    農民達の悲痛な叫びは届かなかった。
    「百姓は生かさず殺さず。最後の一滴まで絞りつくせ!」
    幕府の役人の、執拗な年貢の取立てから彼らを救ったのは、官軍の先鋒「赤報隊」。
    相楽総三率いる「草奔の志士」達であった。
    彼らの掲げる「年貢半減」の旗印の下、男達は戦へと立ち上がる。
    「あんひとは優しい人なんだ。おらに花を摘んで来てくれるだよ。」
    女達は涙をこらえ、ただひたすら無事を祈っていた。新しい時代を信じ、赤報隊と共に進む農民達。
    しかし、彼らに銃を向けたのは、味方であるはずの官軍であった―
    (パンフレットより)

    新撰組や白虎隊に負けず劣らず、悲運の道を辿った赤報隊。
    誠実な人柄の相楽と彼を支え走り戦う志士達。そして彼らが立ち寄った村の男達は、大切な人を守りたいと赤報隊への入隊を志願する。そして女達は無事を祈り、自分達の戦いを始める。
    それぞれの強い一途な想いがばしばし伝わってきて、生きる事、愛する者を守る事に必死な彼らの姿に胸を打たれたうるうる
    「情は弱みになる」といった趣旨の台詞があったけれど、それはまた最大の強みにもなるんだと感じた。
    そして踏みにじられてしまうその想いに涙が溢れただだ泣き
    権力者の本質は、いつの時代も変わらないのかもしれない。

    今の時代に当たり前にある生活や愛情を、もっと大切にしようと感じた。

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    東野圭吾 『赤い指』

    東野さんの"加賀恭一郎シリーズ"第7弾となる長編書き下ろし小説。

    会社で残業をしていた前原昭夫の元に、妻の八重子から電話が入った。「早く帰って来て欲しい」とだけ告げるその声からは、有無を言わせない切羽詰った状況にある事を感じさせた。
    認知症の母・政恵と以前から彼女を疎んじていた八重子、八重子に溺愛され我が儘放題の中学生の息子・直巳。家庭に安らぎを見出せず全てを投げ出す日々。わざわざ不必要な残業をして会社に残っていた昭夫は、憂鬱な気持ちで家路に向かう。帰宅した前原は、予想だにしない光景に言葉を失った。自宅の庭に投げ出された黒いビニール袋から覗く、白い靴下を履いた動かない小さな女の子の足。直巳が殺したのだと聞いた昭夫は、反省の色など微塵も見せない直巳に対し何も言えなかった。そして、「直巳の将来と自分達の生活の為」と言う八重子に押し切られるように、少女の遺体を公園の公衆トイレに運び証拠隠滅を図った。
    一方、公園の公衆トイレから発見された少女・春日井優菜殺人事件の捜査にあたる事になった捜査一課の松宮修平は、偶然にも従弟である所轄の刑事・加賀恭一郎と組む事になった。松宮が並ならぬ恩義を感じ敬愛する加賀の父・隆正と加賀の冷淡な関係に困惑し憤りすら感じる松宮。
    そして捜査の手は前原家に伸びる。昭夫は、最低で邪悪な計画を実行に移した―

    あらすじを書いていても、前原家の連中の利己的な言動にめちゃくちゃ腹が立つ。
    優菜の殺害を昭夫に問い詰められ、「俺は関係ない、何も悪くない!」と喚き散らす直巳。八重子は直巳を庇いたて、育児に関与しなかった昭夫を責める。「小学校からずっといじめられていて、今でも友達がいない」とも。
    「だから何?」。自分が苦しいからといって、他人を苦しめたり踏みにじるなど到底許される事じゃない。「直巳の将来の為」と遺体を捨て証拠隠滅をしようと言い出す八重子。それを多少の罪悪感を抱きながらも実行する昭夫。更に、捜査の手が伸びてきて昭夫が実行した邪悪な計画―認知症の実母を犯人に仕立て上げる―救いようがないな。
    この計画はある計略により破綻するんだけど、そこに込められた深い想い、そしてタイトル『赤い指』の意味、明らかにされる真実に胸を打たれるうるうる
    加賀刑事が直巳の襟首を掴んで床に投げ転がし、「この馬鹿餓鬼を連行してくれ」と言う言葉に少し胸がスッとした^^

    この物語のもう一つの軸である加賀親子の関係。これまでの加賀刑事の作品にも手紙や電話だけではあるけど姿を見せ、加賀刑事に力添えをしていた隆正。2人の間には、母の事などでわだかまりはあるもののしっかりとした父子の絆があるように見えた。けど、今作で病床にある隆正を加賀刑事は一度も見舞おうとはせず、松宮刑事が思い返す限りではわざと顔を合わせないようにしていた加賀親子。一体この冷淡さは何だろうと思って読み進めていると、事件が終わった後それは明らかに。
    「どういうふうに死を迎えるかは、どう生きてきたかによって決まる。あの人がそういう死に方をするなら、それはすべてあの人の生き様がそうだったから、としか言えない。」
    中盤、加賀刑事の隆正への態度に不満を漏らした松宮に、加賀刑事が返した言葉。この時はその言葉のままに受け止めていたんだけど、終盤で明らかになった隆正の想い、そしてそれに対する加賀刑事の気持ちを考えると涙が溢れただだ泣きラストシーンでの、隆正を看ていた看護士・金森登紀子が加賀刑事に向けた言葉が更に涙を誘うだだ泣き

    家族の在り方、親の愛情の種類、色んなことを考えさせらた。
    で、改めて加賀刑事のファンになったハート

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    村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

    1995年1月に起きた阪神淡路大震災を背景にした6本の連作短編集。

    出版社に勤める善也は母と2人暮らし。新興宗教に生きる母は、子どもの頃の善也に「私達の神様「お方」があなたのお父さんで、あなたは神様の子どもなのだ」と話して聞かせていた。しかし、善也は自分が「神様の子」などという特別な存在だとは思えず、13歳の時に善也は信仰を捨てる。そして善也が17歳の時、母は善也に彼の出生の秘密―生物学上の父親の事―を語った。
    それから8年後の1995年2月。母が教団のボランティア活動で震災のあった神戸へ向かい留守にしている夜、善也は父親と同じ身体的特徴をもった男を帰宅途中に見つける。善也は彼の後をつけ始めたのだが……。(表題作『神の子どもたちはみな踊る』)

    雑誌に連載された当初には「地震のあとで」という題名が付けられており、いずれの物語にも阪神淡路大震災が背景にあるんだけど、主人公を始めとする主要な登場人物達は誰も震災を直接体験してはいない。
    『神の―』の善也にとっては母が"神の遣い"としてボランティアで向かった地、また別の物語の人物にとっては断絶した故郷の出来事、別の人物にとっては憎い人物が住んでいる場所に起きた事。震災の直接的な描写がなく登場人物とは無縁に思える出来事に見えて、それでも震災が抗えない圧倒的な自然の力によって登場人物達の心の傷に触れたりダメージを与える様と、そこから立ち上がる者、または受け入れる者、それぞれの生き方に大きな影響を与えている様がありありと伝わってくる。
    また、現実に起きた震災が背景にある事で、物語全体に漂う喪失感や闇をよりリアルに感じられた。

    印象に残ったのは『神の―』の善也が父親らしき男の後を追いながら、母と自分の恩人である男性の最期を回想した時の独白。
    ―神が人を試せるのなら、どうして人が神を試してはいけないのだろう?―
    そして終盤、父親らしき男を見失い辿り着いた無人の野球場で、月の光を浴びながら一人踊った善也の呟き。
    「神様」
    祈りとも呪詛とも取れるこの呟きに善也の心の闇の深さと、射してくる光とを同時に感じて胸が詰まった。

    誰でも程度の差こそあれ抱えている心の傷や痛み、闇、憎悪。この世界でそれらを抱えて生きていくのは辛い事だけど、それでも自分の世界が続いているなら生きていかなくてはいけない。そんな世界に静かな救いをもたらしてくれるような、未来に明るさを信じてもいいと思える物語達だった。

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    キャラメルボックス'09オータムツアー『さよならノーチラス号』を観てきた♪

    2日のお昼、演劇集団キャラメルボックスのオータムツアー『さよならノーチラス号』を観てきた♪

    会社を辞め専業作家になる事を決めた星野タケシは、都内にマンションを買い引越しの準備を進めていた。
    引越し当日、手伝いに来た編集者の森真弓は進んでいない荷造りに呆れながら、ダンボールから覗いていたブリキの潜水艦に興味を惹かれる。
    「これは何?」という真弓の問いに、タケシは15年前の出来事を語り始める。
    当時12歳だったタケシは家族と離れて暮らしていた。父の事業が失敗し一家で夜逃げをする羽目になったからだった。まだ小学生だったタケシは伯母の家に預けられていた。両親と10歳年上の兄は、古びた自動車整備工場の2階を借りて暮らしていて、夏休みの間だけタケシもそこで一緒に過ごす事になった。
    そこでタケシは不思議な犬と出会う。整備工場の主・根本勇也が飼っている老犬で名はサブリナ。人の言葉を話す犬だった。
    ある日、整備工場に勇也の兄で弁護士をしている芳樹が「事故を起こしたクライアントの車を至急修理しろ」と言ってきた。無茶な要求を渋々引き受けた勇也だったが、その後、工場に高校生の男女が忍び込んできた。「友人を事故に遭わせ逃げた車を探している」と言った2人に、勇也は「そんな車はない」と突っぱねる。
    勇也が嘘を言っていると知ったタケシは……。

    喋る犬・サブリナの老犬らしい落ち着きと犬らしい可愛らしさを併せ持った仕草がめっさ可愛くて、また孤独なタケシを厳しく優しく見守る言葉と眼差しに惹きつけられる。タケシの孤独を感じたサブリナはタケシにだけ言葉を発する。そして「よく考えるのです。」と小学生のタケシを大人同様に扱い成長を見守る姿にふと、サブリナ自身も孤独だった時期があったのかなと感じた。同じ痛みを知る者故の優しさと厳しさを持っているように見えた。
    で、一見ぶっきらぼうで愛想が悪く粗野な印象を受ける勇也の、全てを見透かしてそれでも知らぬ振りで力を貸す大きな優しさにジーンとしたうるうる
    兄の芳樹の事も「世界で一番嫌っている」などと言いながら、事故を芳樹自身が起こした事故だと見抜き、それでも芳樹の弁護士という立場や身重の妻・理沙の事を思って、それは間違っていると苦悩しながらも知らぬ振りで力を貸し秘密を守ろうとする、人間味溢れる優しすぎる姿に胸を打たれたうるうる
    そして、その事故のせいで高校生活最後の夏休みを病院で過ごす羽目になった美香と、事故の犯人を探しだそうと奔走する友人・康太郎と恵利子。
    タケシの計らいで事故の犯人は芳樹だと知った康太郎達は、タケシの兄・博の協力を得て芳樹を美香に会わせ
    、芳樹に事故を認めさせ償わせようとする。でも芳樹の顔を見た美香は芳樹を許そうとした。「苦しそうな顔してた」と言う美香の優しさにもジーンとなったうるうる
    そして終盤、芳樹の妻・理沙は事故の真相を知り、美香の入院費と謝罪の意を込めて50万を博に託す。ところが、「入院費に40万かかった」と知っていたタケシは、博から預かったお金から10万を自分の物にしようとし、それが見つかって逃げ出してしまう。この時点では、私は「借金を背負って苦しい生活をしている父と母を救い、また家族揃って暮らしたい」と願って10万を取ったのだと考えていた。けど、逃げ出したタケシはかつて勇也達と遊びに行った奥多摩湖で途方に暮れていたところをサブリナと勇也にも発見され、心情を吐露する。
    「ノーチラス号と名付けた自分の自転車が欲しかったんだ、ネモ船長のように自由になって行きたい所へ行きたかったんだ」と。
    家族と離れて暮らし、お金もなく行きたい所へも行けず欲しい物も手に入らない、孤独を抱え込んでいたタケシ。私の考えた事は、もう少し大人になってからか、あるいは心にまだゆとりのある人の考えだったかもしれない。想像以上に深いタケシの孤独が胸に突き刺さってきた。
    そんなタケシにかけた勇也の言葉がまた胸に沁みるうるうるノーチラス号とは小説『海底二万里』に登場する潜水艦の名前。孤独から脱し自由を得る為に陸の生活を捨て海に潜ったノーチラス号の船長・ネモは決して自由なんかではなかったと、本当に自由になりたいならノーチラス号になんか乗らないで、タケシ自身が自由にならなきゃいけないんだ、と。
    「取り返しのつかない事なんかない」と諭し、自由の意味、それは現状から逃げ出す事じゃないんだと、タケシはすでに自由を手にしているのだと背中を押してやる、勇也の不器用な優しさが溢れていて心打たれたうるうる
    そしてこの言葉は勇也自身や兄の芳樹にも向けたい言葉だっただろうなとも思った。

    辛い環境でも明るく前向きに、そして懸命に生きるタケシの家族の姿、12歳のタケシを見守るたくさんの温かい眼差し、「取り返しのつかない事なんかないんだ」という終盤の勇也の言葉。
    生きる希望や優しさをもらえる舞台だったキラキラ

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